空と君のあいだに

研究と教育と日々の,思考整理の場

bridal valley

本校の高校生が文集を自主制作したというので購入させて頂いた.A5判で200ページほど.まだ全ては読めてはいないのだが,対談から書評,論文まで幅広く,それでいて発散していない印象を受けた.よくまとまっている.評価につながるから,などという仮言命法的な動機ではなく,それ自体が自身のやりたいことで活動しているようなので感心する.何事も中途半端な自分からすれば羨ましいエネルギーである.

なぜか挿絵にわたしめのイラストが登場するので拝借してみた(許可取得済み).いろんな場面で使わせて頂こう.なかなか似てると思う.

さて,若者世代の婚姻率が下がる昨今である.結婚というイベントが2体の衝突と考えるなら,SNSの発達したこの10年は若者が良い出会いを得るチャンスだと捉えることもできる.例えば,随所で存在が語られるネット右翼も,web空間上で立った右翼という旗の下にわらわらと人が集まるからこそ生まれたものだと理解している.意見分布が収束するタイムスケールは短くなっているのだ.もちろん,収束するのが1点ではないところに大いなる問題があるのだが.

さて,出会いに話を戻そう.SNSが発達しても,SNSで出会った人同士の結婚は,まだ現実世界で知り合った人同士の結婚ほどはメジャーではないのは,誰しもが実感するところだろう.世論のクラスタリングかのタイムスケールが短くなってでもである.なぜなのか.

そこで思いついたのが「不気味の谷」だ.デフォルメしたロボットは愛嬌を持つ一方で,生身の人間に近づけても,ロボットに対する親近感は単調増加しない.むしろ,嫌悪感すら覚える.この嫌悪感が「谷」と表現されているわけだ.これは先に話に挙げたweb上で出会った人同士の結婚でも同じだろう.web空間上で知り合った人同士,ある程度まではクラスタリングが早く進む.しかし,結婚までは辿りつかない.谷を越えられないから.

ところで,ここまで書いて気づいてしまった.別に谷を越えなければならないのはweb空間上での出会いに限らないと.長々書いたものが駄文に帰してしまったわけだが,一応これも記録として留めておこう.