空と君のあいだに

研究と教育と日々の,思考整理の場

『1984年』

昨日まで顧問を勤めるワンダーフォーゲル部の合宿引率だった.これまでの引率では生徒と同じテントに一緒させて貰ってたが,今回は新しい顧問用テントを手に入れたため2人用テントを1人で使えた.明け方寒い以外は快適で,QOLが著しく改善したためストレスなく過ごすことができた.

さて,夜にやることがない都合,鈍行で滋賀県まで移動する生徒に帯同する都合で,手持無沙汰な時間が多かったため,以前から読もう読もうと思ってたG.オーウェルの『1984年』を読了できた.これまで北朝鮮トルクメニスタンキューバ,中国と社会主義とされる国に訪れたことのある身としては大変興味深かった.
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専門ではないのでWikipediaで以前調べた範囲の内容になるが,マルクス主義に基づくと共産主義に移行する前段階が社会主義であり,その段階では革命を導く指導者の存在が許されている.だが,現存するどの国家も共産主義に達することはできておらず,社会主義で止まってしまっている.革命の途上にあると言えば聞こえは良いが,それは方便にすぎず,権力を手にした指導者ないし指導者層は結局その立場に甘んじてしまうのだろう.『1984年』は,この方便に対して以前から抱いていた考察が整理されたものが書かれている印象であった.目新しい知識はなくとも,手元にあった知識を体系化する書籍はとても身になる.

例えば,北朝鮮では金日成の死去に伴い金正日が党の主席を継いだことに対して,現地の様子を見て,金一家の威光というのは国家を維持するためのシステムの一部に過ぎないことを薄々と感じたものだ.それはトルクメニスタンでも顕著で,彼の国は,ソ連崩壊に伴い国家のアイデンティティを探すにあたり,大統領自身を神格化する道を歩んだ.キューバではカストロ議長自身の偶像化は避けた者の,死去したチェゲバラを英雄として讃えている.『1984年』では権力の維持システムの一部として「偉大な兄弟」の存在が書かれており,実際にこれらの国家と重なる部分も多い.

また『1984年』では,人工的に言語を簡略化することにより思考の自由度を奪う旨が描写されているが,これは(意図とは異なるものの)中国における簡体字の導入を彷彿させる.あるいは描写された相互監視社会のあり様は北朝鮮で感じた閉塞感に同じである.ソ連をモデルにしてるとは言え,1948年に書かれた小説に見られる描写が,未だに2010年代に訪れた独裁国家のあり様に重なるのは大変興味深い.

以上はとり急ぎのメモ書きである.機会があれば改めて整理された記事としてまとめ直したい.