捏造疑惑
先週の土曜に行った天文学史の講座の概要.前回の内容はこちら*1でフォローしていただきたい.
前回,社会科教諭からはギリシア哲学の導入を,僕からは「天球面上における角度スケールの体得」と「相対運動の観察において観察者と目標物の運動が縮退すること」をテーマに話をした.全8回の講座のうち,前回の1回だけは2学期中に行われる授業だったため,実質的に前回はガイダンスであり,先週土曜の3学期初回授業が本当の意味での講座の始まりとなった.以下,まずは講義の概要をまとめる.
社会科学編
マケドニア
マケドニアは,ギリシアにあったポリスから見たら田舎の世界である.しかし,林業の観点でポリスにとっては重要な公益相手であり,ポリスに準ずるものとして扱われていた.このマケドニアに生まれたアレクサンドロスがポリスを支配下におさめて東方の古代文明(エジプト,パレスチナ,メソポタミア,イラン高原)を征服していった.その結果,登場したのがヘレニズム文化である.ギリシア哲学に東方の技術が合わさることで学問もこの時代に大きく進展した.アレクサンドロス帝国はアレクサンドロスの死後に解体するが,エジプトにあったアレクサンドリアでは引き続き学問が進展することになる.この時代のアレクサンドリアで活躍したのがエラトステネス.
ローマ
農業社会,ローマ
ローマは,当初は商業社会ではなく農業社会として発展したため,マケドニアと比べポリスからすると超田舎であった.やはり学問が育ちづらい環境だったらしい*2.当初は共和制の国家であったが,日本の地方政治よろしく,土地と(世襲の)役職を持つものが貴族(パトリキ)として政治に関与していた.土地を持たず役職のないものは平民.しかし,農業社会であったため,開墾が大きな意義を持っており,開墾に成功したものは新貴族(ノビレス)としてその後議会の担い手となる.彼らは元老院を構成することになる.
ポエニ戦争
さらに一方,北アフリカはフェニキア人の商業域であった.ローマは,この地域をポエニ戦争で侵略してゆき,ローマは商業社会に移行してゆく.しかし,やはり学問は育たず停滞する.
ポエニ戦争でカルタゴなどを手にしてイタリア半島外に進出したローマは,その後,旧アレクサンドロス帝国の領土を手にして地中海世界を制覇することになる.
天文科学編
エラトステネスからヒッパルコスへ
ヒッパルコスの業績としては,
- 星の等級を定義したこと
- 現在に繋がる46星座を定義したこと
が挙げられるが,そもそも彼のモチベーションは地理学にあった.例えば,地球の大きさを測定したエラトステネスは太陽の南中を利用して,2地点の緯度差を,隊商の往復日数を利用して2地点間の距離を見積もり,両者を比較することで地球の大きさを推測した.しかし,この研究には問題点もあり,例えば,距離の測定には三角測量がより厳密だし,緯度差の決定も(点源を)より多く観測できればより精度よく決定できる.こうしたことを背景にヒッパルコスはロードス島で観測を行い,天体カタログを構築するに至ったのだろう.
ヒッパルコスからプトレマイオスへ
プトレマイオスは,ヒッパルコスの観測データとの比較を通じて,恒星の天球面上における位置関係が普遍であること,そしてその恒星球に対して春分点が移動することを発見した.そして,その研究は『アルマゲスト』にまとめられている.ここで,恒星球の普遍性は,ロードス島での観測に基づくヒッパルコスのカタログとアレキサンドリアでの観測に基づくプトレマイオスのカタログとの比較をもとに語られている.
しかし,プトレマイオスは自身の観測を行わず,ヒッパルコスの観測データをそのままの形で『アルマゲスト』に自身の観測として掲載した可能性が指摘されている.その証拠に,本来ならロードス島から見えず,アレキサンドリアからだけ見える天体がカタログに掲載されるはずだが,その情報が一切見当たらない.アレキサンドリアはロードス島より緯度にして5度南に位置する.従って,天球面上でアレクサンドリアからは5度だけ赤緯の小さな天体がカタログに掲載されるはずだが,そのような天体は掲載されていない.もちろん,掲載する必然性もないのでこれはあくまでも疑惑である.ただ,春分点の移動に関して,彼の生きた時代であるべき春分時刻と彼の観測値にはずれが見られ,プトレマイオスは観測データを自身の理論に「合わせた」ことがまた別の場面で語られている.従って,プトレマイオスのカタログについても捏造の可能性が極めて高いといえる.
その後,1400年間天動説を世界に受け入れさせ,天動説の「バイブル」とも言うべき『アルマゲスト』は捏造疑惑を含んだ書籍なのである.
以上が講義の内容である.
天文科学のパートでは『アルマゲスト』の和訳版をもとに模擬論文をつくり,生徒に捏造疑惑に気づけるか「査読」を体験して貰った.注意深く読まないと捏造疑惑が見つからないことが身をもって分かったと信じている.
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後悔すべくは通勤時に個人的にトラブルがあり,準備不足となって時間をオーバーしてしまったことである.新学期直後だけあって1時間の使い方に不慣れなところがあり,まさに休みぼけの状態であった.しかし,緻密なはずの天動説がこのように杜撰な側面も含むことは意外性をもって興味深く捉えてくれたようである.次回はこの杜撰な側面も時代背景を踏まえれば必ずしも杜撰とは言い切れないという筋で講義を進める予定である.