空と君のあいだに

研究と教育と日々の,思考整理の場

ケプラーは科学者か

毎週の授業準備やら試験の準備やらで更新が滞ってしまった.

天文学史の講座には,いろいろな反省点こそあったもののなんとか全8回を無事に終えることができた.その後,チームティーチングでの講座は,勤務校では10年来の悲願?のものだったと知った.新人によくやらせてくれたなぁと感謝の気持ちでいっぱいである.この手のチャレンジ心は学校としても忘れてはならないと思う.

さて,その講義内容のまとめである.すっかり放置してしまった.前回の講義では知識の経由地としての中央アジアを舞台に,古代ギリシアの知識がイスラーム世界を軸に東西に広がった様子を紹介した.
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今回は,以前書いたように,社会科教諭には普遍論争について話して貰い,僕の方では天動説と地動説の数学的な差異を簡単に解説した.
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この記事では僕の話した内容をまずまとめたい.

相対運動

力学的に見れば,物体の運動を観察するだけでは自分が動いているのか,観察対象が動いているのか区別がつかない.その一例が昔のWindowsにデフォルトのスクリーンセイバーとして入っていた「宇宙飛行」である.実際は放射状に点が広がっているだけなのに,我々は自らが画面の奥に進むように感じる.

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ここで重要なのは,それぞれの場合における「変数の数」である.点が無数に自分に向かうモデルでは,個々の点の速度が変奏となる.一方,自分が奥に進むモデルにおける変数は自分の速度だけである.つまり,自分が動く場合の方がモデルとしてはシンプルなのだ.

ただ,シンプルなだけではそのモデルが合理的である論拠にはならない.変数の多い複雑なモデルを否定する何かがなければシンプルなモデルを採用することはできない.上述のスクリーンセイバーの例では,例えば観測者が加速度運動をしていれば観測者は慣性力を受けるはずで,従って,慣性力の有無で2つのモデルを識別することができる.

天動説と地動説

天動説と地動説の論争も,相対運動のそれと同じで,運動するのが観測者か否かを論点としている.プトレマイオスのモデルでは

  • 各惑星の導円・周転円の半径及び速度
  • エカント・離心円の位置

が主な変数となる.一方で,コペルニクスのモデルでは,

  • 各惑星の円軌道の半径及び速度

だけが変数であれば良い.コペルニクスのモデルの方がシンプルであり,それがコペルニクスを地動説論者たらしめた最たる理由なのだろう.しかし,先にも書いたように,シンプルなだけではそのモデルを採択することはできない.何か独立な観測によってどちらかのモデルを棄却せばならないのだ.

例えば,独立な観測の可能性の1つとしては重力の測定が考えられる.プトレマイオスの天動説理論によれば地球には自転がない.従って,地球上の観測者には遠心力が働かない.そのため,自転軸からの距離に比例するはずの遠心力が作用しないし,万有引力と遠心力の合力である重力の向きや大きさの緯度依存性も検出されない.もちろん,力学体系の完成は地動説が立証されてからニュートンが成し遂げたものだし,この時代に重力で自転を検出することは技術的にも困難だったろう.重力が急に変わることはないので,感覚的にもそれは難しい.地動説の立証はガリレオによる天体望遠鏡の開発を待たねばならなかった.

ピタゴラス派学者,ケプラー

コペルニクスは地動説理論を作り上げたが,それは真円を基にしたものであり,今日の地動説理論とは大きく異なる.現在の理解では,各惑星は太陽を焦点においた楕円運動をするわけだが,それを発見したのはケプラーであった.

ところで,コペルニクスケプラーも思想的には古代ギリシアを抜け出せていないのは興味深い.そもそもプトレマイオスの天動説理論は,星々をイデア界と結びつけたアリストテレスの影響を強く受けている.従ってプトレマイオスの天動説理論には,イデア界にある天体の運動は真円で構成されるべきという信念があったように見受けられる.コペルニクスもその影響下にあったがために真円で惑星運動を説明しようとしたのだろう.その点,楕円運動を導入したケプラーは一歩進んだかのように思える.ただ,それでもケプラー古代ギリシアに端を発するピタゴラス派に立っていた.

数学に傾倒していたケプラーは正多面体の数が当時発見されていた惑星の数と同じことに気づく.すると,宇宙は正多面体で構成されているに違いないという考えが彼の頭に浮かぶ.実際,彼が数学の神秘に魅せられた形跡は今でも垣間見ることができ,例えばその1つに「調和の法則」がある.惑星の公転周期の二乗が軌道長半径の三乗と比例するというその規則は,様々な変数を試行錯誤に計算して見つけたものなのだろう.2乗と3乗というシンプルな計算で美しい比例関係が見つかったとき,その瞬間,彼は数こそが宇宙の真理であると悟ったに違いない.まさにピタゴラス派のそれである.

以上の話を踏まえると,コペルニクスケプラーも一長一短であり,いま理解されている太陽系の姿に至るまでに様々な試行錯誤があったことが垣間見れる.ケプラーピタゴラス派に立っていた以上,まだ近代的な科学者とは言えない.高校物理の教科書に載るような偉人であっても現代の科学観を共有できるとは限らないのだ.