空と君のあいだに

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狭間の人,コペルニクス

成績処理やら新年度のクラス分けも終わりあとは終業式(と成績不振者への対応)を残すのみとなった.今年度は副担任だったもので,ホームルームやら何やらにはそこまで主体的に関わることがなかったが,担当クラスも明日で解散することを考えると名残り惜しいものがある.

さて,天文学史の講義録の続きである.前回の記事ではコペルニクスの地動説モデルとプトレマイオスの天動説モデルの違いについて触れた.
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今回はコペルニクスの時代の中での位置づけについて触れたい.世界史教諭が担当したパートの解説になる.コペルニクスはその地動説で世界を変えたと言われるが,その転換には100年を要しており,彼一人が劇的に世界を変えたわけではない.彼がなぜ天動説を変えられなかったのか,科学的にはガリレオの開発したような天体望遠鏡がなかったからなのだが,歴史的にどのような背景があったのか同時に解説した.

中世の西ヨーロッパ世界

フランク王国東ローマ帝国

4世紀,ローマ帝国が東西に分割されると,東ローマ帝国は当時栄えていた東方に軸を移す.一方の西ローマ帝国ゲルマン人の侵入を受け,皇帝が暗殺されるなど混乱に陥る.その中で教皇を中心としてローマ教会独自のヨーロッパ運営が始まる.

ローマ教会による布教活動は民間人対象のものと知識人対象のものとに分かれた.前者に関しては,ゲルマン人もその対象に含まれ「祈り働け」を合言葉に修道会中心の布教が行われた.その際,地母神とマリア像を重ね,マリア像の存在が広く布教するために重要視された.一方,後者,知識人に対しては東ローマ帝国に残っていた「都合の良い知識*1」が凝縮され西ローマ帝国に伝わっていった.

その後,8世紀ごろフランク族が台頭し,フランク王国が西ヨーロッパを統一する.ゲルマン人カトリックに改宗し,フランク王国カトリックは相互に利用しあって西ヨーロッパの世界体系を確立することになる.

カール大帝フランク王国カロリング・ルネサンス

西暦800年にカール大帝が皇帝となると文化的な隆盛が訪れる.カール大帝ゲルマン人ネットワークの構築を目指すが,そもそもゲルマン人は文字を持たない.そこでラテン語による知識の集約が進む.

が集められキリスト教化以前のローマをめざす運動が盛んになった.この動きはカロリング・ルネサンスと呼ばれる

神聖ローマ帝国と12世紀のルネサンス

11世紀に神聖ローマ帝国は十字軍による侵略を活発にする.ヘレニズムと同様,侵略により人の移動が起こると,同時に知識の交流もはかどる.実際,カロリング・ルネサンスで志半ばで終わった資料収集がこの時代にはかどり,これが12世紀のルネサンスに繋がることになる.このとき,当然ながらキリスト教に都合の悪い資料も集まるわけだが,そこでキリスト教の教義と矛盾しないような解釈が試みられる.そこで誕生したのがスコラ哲学であり,これが後の普遍論争への道筋が生まれることになる.

神学者コペルニクス

このように西ヨーロッパ世界はキリストの教義と,それにふさわしくない古代ギリシアの知識の矛盾解消が1つのテーマになっていたわけだが,コペルニクスはまさにその渦中の人物だと言える.彼は15世紀のカトリックお墨付きの神学者である.しかし,天文学を大学で修めるうちに地動説の数学的な美しさ*2に気づいてしまい,おそらくは天動説を含むキリスト教の教義の間で彼の気持ちは揺れ動いたのだろう.その名残は彼の著作『天球の回転について』の前文で垣間見れる.

『天球の回転について』の前文には以下の記述がある.

それらの仮説が真である必要はなく,また本当らしいということさえなく,むしろ観測にあう計算をもたらすかどうかという一事で十分だからである

1つの同一な運動の様々な仮説が時節互いに対立するとき(たとえば,太陽の運動における離心円と周転円),天文学者なら,理解するのに最も容易なものの方を特に取り上げるであろう.おそらく哲学者なら,本当らしい方をむしろ要求するであろう

もし神から啓示されたのでないならば,天文学者も哲学者も,確実なことを何ほどか理解することも,あるいは取り扱うこともないであろう

古代の少しも本当らしくない諸仮説と並んで,これらの新しい諸仮説も知られるようになることをわれわれは許すことにしよう

あくまで地動説が仮説の1つであり,天球の運動を都合よく解釈できるに過ぎず,神がそれを正しいものとは限らず,ただ一方で哲学者なら真のものとしうることが明記されている.キリスト教に対して予防線を張っているのだろう.コペルニクス天体望遠鏡を持たなかったため,技術的に地動説を立証することは不可能だった.加えて,このようにキリスト教と当時の自然哲学の狭間に立った天文学者だからこそ地動説に舵を切りきれなかったのかもしれない.

*1:神の存在をおびかさない程度のヘレニズム書物.キリスト教を国教として以後,古代ギリシアの知識のうちその教義と矛盾しないものだけが東ローマ帝国に残った.残らなかったものの一部はイスラーム世界を経由して中世に再びヨーロッパ世界に入る.

*2:前回の記事で解説したように,地動説だとより少ない変数,よりシンプルなモデルで天体の運動を説明できる