空と君のあいだに

研究と教育と日々の,思考整理の場

web空間は対話の場になりうるか

メーリングリストで嫌な議論?を目にしたので.

「(外の世界の)対話こそ大事」という類の主張をする人間が,ときとして意見を異にする内の世界の人間に対して攻撃的な態度を取る現象にどんな名前をつければよいのだろうか.内輪のメーリングリストではなく,任意参加のものであればその場で結論を出すことに意味はない.その一人に強硬的な態度をとってしぶしぶYesと言わせた所で共同体全体で同意を取れたわけではないのだから.
意見を異にする人間を知ることができればその時点で目的は達せられたと考えればよいと私は考える.持論で相手をねじ伏せようとすることを含む攻撃的な態度は,自己満足に過ぎない.

TwitterなどのSNSが普及した当初,多様な人間と意見交換できることに時代の変化を感じたものだが,最近はその限界も認めざるを得ない.そもそも現実世界での体験を基にした意見なぞ,webでちょろっと触れあった人間のそれでかわるとも限らない(かわる場合もある).先述のように結論を出すことを急いては,今まで顕在化しなかった摩擦が露呈するだけだ.どうせ結論を出せないのなら,意見を異にする相手を認知する程度を到達目標にすればいいじゃないか.荒れる話題ほど意見の収斂にはタイミングが大事なのだと思う*1

その点「政治」「野球」「宗教」の話はタブーとはよく言ったものだ.

*1:これは国交正常化交渉などと同じだなと気づいた.数十年前の人間はまさかアメリカとキューバが国交正常化交渉するなんて思わないだろう