空と君のあいだに

研究と教育と日々の,思考整理の場

Uncertainty principle

本校では今日から期末試験が始まった.いまこの瞬間,担当分の試験問題をすべて作り終えて安心したところで,試験問題に対する僕のスタンスを簡単に述べたい.試験をいかに行うかは教育学的に1つの分野を形成するのだろうが,生憎そちらへの見識は皆無のため持論にはなるが,その点をご了承の上お読みいただきたい.

まず,試験で学力の測定を行うのは不可能に近いと僕は認識している.量子力学不確定性原理と呼ばれるものがあるが,それと似たようなものだ.よくある思考実験として,電子を光で観測する例があげられる.電子のような軽い物体は,たとえその座標と速度が真に定まっていたとしても,観測された段階で両者を完全に定めることはできない.電子のような軽い物体は,光子をあてて座標を観測しようとした時点で速度が変わってしまうからだ.これは学力でも同様だと考えている.いまの例で言えば生徒は電子,テストは光子に相当する.生徒に試験を課すと,生徒は課される試験に向けて対策する.試験には作題者によってクセがあるので,生徒の対策には,「純粋な勉強」だけでなく「小手先の対策」の要素がどうしても入り込む.試験から生徒の学習へのフィードバックが働くため,特に年に複数回実施される定期試験の類では生徒の学力を精密測定することはできない.系統的な誤差がどうしても残る.

生徒の学力が精密に測定できない以上,それを前提に試験問題を作らなければならない.具体的には,到達度を確認するだけでなく,今後の学習に向けたメッセージを盛り込むべきだと僕は考えている.そこで,僕が特に重視するのがリード文だ.試験問題のリード文は,学期中に生徒がもっとも真剣に読む文章のうちの1つだろう.これを利用しない手はない.そのため,リード文を構想して書く作業に試験問題作成時間の大半を費やすことが多い.

僕はリード文の要約を頻繁に出題する.理科で現代文のような出題をすることに顔をしかめる人も多そうだが,その意義は大きいと考えている.試験ごとだと,週に数コマの50分授業が10回程度ある.個々の授業内でのストーリー作りは教員で責任を持てるものの,授業をつなぐ全体のストーリーはそう容易くはない.こちらでいくら強調したところで,復習が徹底しなければ毎回の理解にいっぱいいっぱいとなり,木を見て森を見ずとなる.そのため,ある程度,講義の全容を語ったリード文を用意し,試験中にそれを要約させることで明示的にそのストーリーを生徒に復元して貰うことが重要だと僕は考えている.もちろん,この手の問題を出すと生徒はその場しのぎで試験をクリアすることを覚えるだろう.そのため,リード文はそれなりに長くし(僕の中では要約を出題する際2000字程度が1つの目安),かつ他の問題も充実させ,短時間で要約を完成させなければ高得点を望めないようにしている.普段の試験勉強でも学期中の授業全体のストーリーを組み立てていれば有利に試験に臨めるというわけだ.

さらに,中学生であればリード文の要約を通して書き言葉の修得が望めるのではないか.たとえ,(結果的に)学力の「上位層」の生徒を集めている本校と言えども,中学生の作文では主述の対応がすっちゃかめっちゃかだったり,話し言葉がときおりまじったりする.短い文章を接続詞を用いてつなぐことで論理展開が明確になるわけだが,これができなければ理科としても高度な内容の習得は望めない.そこで,硬い書き言葉で書かれた文章を,要約という作業を通して主体的に書くことによって,硬い書き言葉を少しでも身につけられるのではないかと期待している.

以上のような取り組みは定性的な内容の多い地学だからこそ意味を持つもので,例えば,同じ理科でも化学や物理では使えない技法だと考えられる.だが,地学でこうしたメッセージを発していけばいずれその学習スタイルが他教科・科目に反映されるはずだと信じて取り組み続けたい.