空と君のあいだに

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天動説理論の精緻さ

授業の準備で一杯一杯になってブログを更新できなかった.毎週土曜に開講している天文学史の講座の概要を再び.前回書いた内容はこちらにて.今回はその続き.
rinsan.hatenadiary.com


前回の講義ではプトレマイオスが,『アルマゲスト』にて天動説理論の根拠とした観測において,ヒッパルコスのデータを剽窃した疑惑があることを紹介した.敢えてプトレマイオスを「悪者」として紹介したが,それは実は偏った見方である.とはいえ,その導入は意図的なものである.この回では「悪者」という評価は現代の価値観に基づいていること,当時の哲学では「悪」ではないことを伝えることを主眼とした.

現代天文学における分野分類

現代天文学では「理論」と「観測」が大きく分けた2つの分野である.後者で得られた「データ」に対し,前者に基づく「モデル」を構築することになる.これは天文学に限らず自然科学全般でとられている手法である.

データに対するモデルの当てはめ

「データ」と「モデル」の関係の例として,まず小中高で度々登場する「バネの伸び」と「バネに下げたおもりの数」の関係を紹介した.「おもりの数,  N」に対応する「バネの伸び,  x」についていくつかのデータ点が得られた場合,例えばそれを
{x = aN}
という数式でフィッティングするより,
{x = aN+b}
でフィッティングした方がデータを上手く説明できるだろう.ただし,データを上手く説明できる数式ならどんな数式でも良いわけではない.

多項式での当てはめの例

例えば,以下のデータを考えよう.これはTwilogで取得した僕のTwitterアカウントにおける投稿時間の分布である(横軸の左端が午前6時で,右端が24時間後を示している.つまり,横軸で0.25の変化は6時間の経過を示す).このデータに高次の整式をフィッティングすることを考えよう*1
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1次の整式の場合: 深夜帯で活動的なことに影響されて右肩上がりのグラフになるが,データを全然説明できていない.
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2次の整式の場合: 深夜帯で活発になって明け方に向かっておとなしくなる様子は見て取れるがまだまだ.
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3次の整式の場合: 良い具合になってきたが,奇関数なのでグラフの左端,明け方におとなしかった様子が説明できない.
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15次の整式の場合: さすがに15次関数ともなればデータは上手く説明できてくる.
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このように,数式の変数を増やせば任意のデータを上手く説明できるようになるのだが,果たしてそれで良いのだろうか.具体的には,上記の例で言うところの15次式には何の意味があるのだろうか.データを説明するモデルは何らかの意味を持った合理的なものでなければならない.

再び「バネの伸びの例」

「おもりの数,  N」に対応する「バネの伸び,  x」の例では,定数項を導入することでより数式はデータを上手く説明できるようになる.ただ,これが合理的なのは,定数項が「バネ自体の重さでバネが伸びる効果」を意味しているからである.このように,モデル及びそれを反映した数式は何らかの合理性を持たなければならないのだ.

プトレマイオスの天動説理論

プトレマイオスの天動説理論は,単に各惑星が地球の周りを回るだけでなく,

  • 周転円*2
  • 離心円*3
  • エカント*4

という3つの要素によって観測データを説明しようとしたところに特徴がある.

ただし,これらを全てプトレマイオスが考案したわけではない.周転円はアポロニウスによって導入されている.アポロニウスは円錐の切断面が楕円,真円,放物線,双曲線になるという,円錐曲線論を体系化した人物として知られる.高校生にとっては「アポロニウスの円」の方が馴染み深いだろう.いずれにせよ,現代に通ずる数学的な背景を持った人物である.彼はアレクサンドロス帝国分裂後の安定期にアレクサンドリアで過ごした学者であった.また,離心円はヒッパルコスにより導入された.ヒッパルコスが地理学者,天文学者であることは前回の講義で触れた.彼は共和制ローマが内乱に見舞われた「紀元前1世紀の危機」頃,ロードス島で観測に取り組んだ人物である.そして,ローマ帝国の安定期「パクス・ロマーナ」頃に活躍したプトレマイオスが導入したのがエカントである.

プトレマイオスの天動説理論の根拠となった観測データは,前回の講義で述べたように確かに疑惑を含んだものである.だが,天動説理論は長い間をかけて構築され,アポロニウスなど数学者が絡んでることから分かるとおり,緻密な数学に基づいたものでもある.実際,その精緻さがひとつの要因となって,その後1400年もの間,プトレマイオスの天動説理論は世界を席巻する.ただし,問題点がある.確かに「周転円」「離心円」「エカント」と要素を増やしていくことで観測データは上手く説明できるになったが,要素を増やしてデータを上手く説明できるようになるのは,データ点にフィッティングする多項式の次数を増やすようなもので,当然である.各要素に合理性がなければならないのだが,天動説の数理モデルはad hocで合理的でないのだ.

古代の自然哲学者の議論

天動説の例から読み取れるように,古代の「自然科学者」は理論重視であり,相対的に観測に対する認識が甘かったわけだが,これは当時の学問的背景を考えると至極当然のことではある.そもそも,それゆえに彼らは「自然科学者」ではなく「自然哲学者」と呼ばれている.

起源はソクラテスに遡る.彼らは人間社会における「善」なるものの追求のために議論を行っていた.それが,紀元前4世紀ごろ活躍したプラトンは「善」なるものを「イデア」に見出した.世の中のあらゆるものには「イデア」があり,人間に見えているものはイデアから派生した事物だというのだ.そのため,人間に見えている観測データより,「善」なるものに相当する理論が重視された.極端な話,理論を優先させるために,観測データをでっちあげることに何の抵抗もなかったわけだ*5

古代の自然哲学者の議論を解説する場面では,「正義」「幸福」「神」「徳」の4つからテーマを1つ選んで貰い,それらが何なのか定義づけを行うというグループワークを行い,その議論の過程を体感して貰った*6.意外と熱心に取り組んでくれ,難しさを分かってくれたようで,古代の哲学者が生涯をこれらにかけたという話にも納得がいったようである.

また「天動説の理論に合理性がない」と述べた点について「これで駄目なら何が合理的かわからなくなる」との反響があった.それは非常に良い着目点で,これがまさにガリレオ登場まで地動説が確定しなかった答えにもなる.良い伏線を敷けたと思う.

この回は,世界史教諭と前でかけあいのような形で会話しながら授業を進めるつもりが,時間を気にしながらだったもので,生徒には「時間通り進めようとして,世界史教諭をスルーするところが面白かった」と書かれてしまう始末.ゆとりというのは大事ですね.ただ,少しずつチームティーチングという形式に慣れてきて,授業が面白くなってきた.

*1:本来は周期関数でフィッティングするべきで,フーリエ級数の方が妥当なのだろうが,高校生にとってなじみのないものなので今回は敢えて整式を用いた

*2:惑星の逆行運動を説明するために導入された.

*3:惑星の等級が変化することを説明するために導入された.

*4:離心円を導入したことで惑星の速度が不自然になることを解決するために導入された.

*5:これも近代科学成立以前の話だからできたことではある.近代科学が成立すると,出世欲だ名誉だ金銭的対価だ何だで結局,観測データのでっちあげはなくならないのだが

*6:もちろん,僕ではなく,世界史教諭の主導